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神を信じるが故に起こる悲劇の話

神とは何か、それは永遠に問われ続ける難問なのかもしれない。古き時代から人々は神という存在のためにいろんなことをやってきたという歴史の上に生きているわけですが、そもそも私たちは意外にも「神というものを知らなすぎる」のかもしれないわけで。天地創造、全知全能…いろんな言葉で色々な形の神の存在が語られてきたわけですが、そもそも私たち人間の中で神の存在というのはあまりにも曖昧すぎて具体表現が出来ていないように思うのです。

人類の記憶の果て、まだ明確な文明というものがあやふやだった頃の人々の記憶の伝承。神という存在はどんなものだったかというありとあらゆる議論は現在もなお継続中だという話だけど、神の教えがしっかりと伝承されていたのであれば、現代社会はもっと優しくもっと穏やかな時代だったのではないか? という疑念はなかなか払拭できないのは何故だろう。歴史の上では信教にまつわる戦争さえあるという人類の歴史、果たしてどの神が正しき導き手なのか。

神の生んだ存在だといわれている人類は、高度な文明を持った現代に於いても翻弄され続けている。ここまで来ると、もう神という存在を信じることすら疑ってしまいたくなってしまう…。

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「神の教え」とは「人が平穏に生きるための概念」だと認識している中の人。かつて神がどんな偉大なことをしてきたかという話は「知識のひとつ」という認識であり、「ひとつの指針のようなもの」だと捉えている。だから、地域差があり、色々な分野で差異がある…というのが基幹認識。「人々の平穏を唱える」とは神の生い立ちなどの違いがあれど根本的共通認識であり、人類の導き手という形では一致していると考えています。

故に、「神の教えで対立する」というのは、信教に於いて最高に不毛なことだと認識しています。平穏のために血を流す行為ほど、平穏を破壊する行為はないのではないか? しかし、紐解いてみれば人々の歴史は「神の名の下に」と名のつくことばかり。ある意味、神という存在が概念化しているのであれば、宗教戦争なんてものは壮大な代理戦争なのかもしれない自身の神の存在を正当化するためにありとあらゆる手段でもって自己正当化をする「聖戦」なんてものは、当人たる神様からすれば「最大の禁忌」なのかもしれないけど、もはやそんなことはどうでも良くなっているという感じがしてならない。振り上げた拳を下ろす先がないと困る、敵がいなきゃやってられないとかそんな状況になっているように思えてきてならない。少なくとも、この戦いに総大将たる神様本人はいないわけで、あるのは「神様の教え」という形無き概念誰が勝ったところで誰も報われない戦いは、21世紀を数えた現代も未だに形を変えて続いているという現実があるわけで。

「神様のいない世界に生まれたかった」というのは、何かのマンガのオチであった話だけど。

21世紀は明るい未来予想図が描かれているはず、そんな近未来的な映像を思い浮かべた20世紀のタイムカプセルはきっと号泣しているのではないかと思うけど。私たちの願いを他所に、人々は神を崇め、神の教えを遂行する課程でわりと残酷なことをやってのけている。人類史が始まって以来続いているといわれる神々にまつわる確執は少なくとも有史以来2000年くらいは続いているわけで、そこから生まれ来る悲しみを回避するには…対話することではなく、関わり合わずに過ごすことなのかもしれない。

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