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「勝手踏切」に思う勝手な思想

「勝手踏切」なるもので事故が発生したという話を聞いて、「勝手に入って勝手に事故に遭ったんだろ?」っていう不思議な矛盾を感じてアタマから疑問符が消えません。そもそも「法的に抵触する踏切」なんだから閉鎖するべきなのでは? と思ってしまうのですが、「日常生活の足をふさぐなんて許せない」的な反論が有ったとか無かったとかで…勝手踏切だけに「勝手な理屈だな」って思ってしまいました。

イメージ的には「昔からある遮断機も何もない踏切」だと思っていたのですが、実はもっとぶしつけな話のようで、中には明らかに踏切設備のない道らしきものを渡っている…っていう感じのものもあるとか。何故踏切を設置するかということなんて頭に欠片ほども認知してないのかなって…ちょっとそれはどうなのか。

一部では本当に「勝手に渡って勝手に事故に遭ったんでしょう?」っていう発言も有ったとか無かったとかで、局地的に結構大きな問題になったとかそうでなかったとか。

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勝手踏切に限らず、一部地域にて発生していると言われる「勝手な決まり事」というのはやはりどこの界隈にも存在するようで。ちなみに、勝手踏切に関しては鉄道敷設初期の時期からローカルルール的に認知されているものが結構多い様子。多くの生活道もしくはそれに準ずる交差点部分には簡易的な踏切が敷設されたり新設されたりするものだそうですが、認知されていない箇所も結構あるようで…現在の多くは保線や周辺地域の工事などの際に撤去なり封鎖なりされるもののようですが、事故の起こった区画というのは地域のごく一部の住民が「踏切が遠いから」などの理由で使っていたらしいとのこと。

踏切を敷設しない鉄道事業者が悪いのか、踏切を無視して勝手に踏切をつくってしまう地域住民が悪いのか…という話になるんでしょうか? とりあえず現行法で解釈するなら「勝手に渡る方が悪い」ってなるんでしょうけど…仮にそこに踏切を敷設したところで利用されたんでしょうか? という疑問符は消えません。本当にごくごく僅かな沿線の人が不便さを感じて…って言う話なんでしょうが、それがやっぱり勝手なことだったと認識するに至るのは何故なんでしょうね?</p>

世の中には色々な是非事が転がっていて、そのことで是非を問う機会が多々あるというわけですが…結局その課程で生産性のある議論というのはなされていないのではないでしょうか? 賛否を問われる機会は数あれど、「俺が正しい!」と大声高らかに怒鳴り散らすシーンばかりが思い出され…結局何の進展もないままズルズルと時間ばかりが経っているように思います。これは勝手踏切にかかわらずいろんな分野のいろんな事案に言えることだと思うのですが…。

「もっと理解し合う必要がある」って言いながら右ストレートを放っている印象がぬぐえない。

問題解決がしたいのか、喧嘩がしたいのか…当事者と対象者には非常に重要な問題なのかもしれないのですが、そこにふさわしい姿勢は一切見えていないように思うのは何故でしょうか? こういうときにどうするのがベストな回答なのか…私は最も妥当性ある回答例を知りません。勝手な意思がつくった勝手な問題だから勝手に解決してください、という答えにしか行き着かない。それでも不満があるなら、相応の手続きをしてください…ってなるけど、彼らは本当にそういう手続きに踏み切ったのかどうか。

結局は、身勝手な話だと言うこと?

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